広汎子宮全摘(子宮、両卵巣) リンパ節郭清(取れるだけ)入院当日となっても 未だ、「何で」と思う自分が居て、往生際の悪い自分が腹立たしかった。 この日にMRIを撮って、担当医との話も終わって、後は何も無いので、帰っても良いよ と言ってもらったので、手術の前日まで外泊となる。 怖くって逃げられないのは分かっていても逃げ出したかった。 家に居ても、迫ってくる怖さにひとり孤独となった。 見るに見かねて、主人が何処で捜してきたのか 一冊の本を手渡してくれた。 「明日が待ち遠しくなる言葉」 〜いい顔が出来なくって、今日ちょっぴり気が滅入っている貴方へ〜 主人や子供たちのメッセージが入っている。涙が溢れるんだけど 、どうしようもない-----すごくありがたかった----頑張らんとと思えた。 『ひとりじゃないんだ!』と思わせてくれた。 病院でこっそり観ていた。 手術の前には、こんな確認があったのです。 @ 手術は7〜8時間掛かるとのこと。 A 全身麻酔(生きて帰れないことが無いことも無いとか) B 術後は一晩 ICUに。 以上の確認があっていざ!手術へ いざ!手術室へ この時、10時前(今日の手術は自分だけと聞いていた) BEDのまま、「まな板の上の鯉」状態、。(主人がよく言っていた言葉) 冷たい手術台に乗ったのは覚えているんだけど、後は覚えていない。 気が付くと、ICUに移るエレヴェーターの中。 主人と兄が居てくれてたんだけど、私はナースコールを探していたらしい。 その後の事は、よく覚えている。 ほんと、自分の娘と同じような歳の看護士さんに、たくさん声掛けして貰って、 尾骨の痛みで始終寝返りさせて貰って、うたた寝とともに一晩過ぎた。 後から聞いた話 手術時間 9時間 出血量 1600cc 自己血 800ccで間に合わず 輸血 400cc @リンパ節郭清の折、りんぱをこそげ落とすのに時間が掛かるらしく、その時血管も 一緒にきってしまい、外科の医師を呼んで手当てに時間を要す。 Aヒトくくりのガーゼは200枚。終わる際に199枚。1枚足りない。 開腹したまま、レントゲンを撮ったが、写っていない。 (今のガーゼは、縦横どちらかにアルミが入っていて、残っていれば写るそうだ) このことを聞いたのは、病室に戻って3日ほどしてからで、心配になった。 手術後の経過 10/1 手術 その後ICUへ 2 病室へ(個室) 自信が出てくるまでは個室で 家族が見舞ってくれるのに見舞い時間も気にせずに良かったと思う。 6〜16 (4人部屋) 切った痛みよりも、尾骨の神経に触るような痛みの方がきつく、初めは1時間ごとに 向きを変えてもらってクッションを入れてもらっていた。 毎日の消毒と腹帯に追われ 体力が落ちたのか疲れやすい。 手術してから1週間 便秘に困って、最終的に浣腸 をお願いした。 効きすぎて、血圧が上がり放心状態!早く家に帰りたかった。 この時の4人部屋には、産科の2人と婦人科(筋腫)1人だったので、いちばんきつ かった。 2回に分けて、抜糸をして、久しぶりシャワーに入る。 傷口を見て、またショックだった。 尿の残尿検査では無事パスできた。 皆さんなかなか出来ずに悩んで居られる方も多かった 週末に家に帰る。(外泊許可が出た) ゆっくり、湯船に浸かりたかった。 一度は病院に戻り、そして、順調に16日 退院となった。 (この時、次の化学療法の話を聞いて、コレで終わりではないことを知る。) *ひとつずつ クリアーしていこうと自分に言い聞かせて。 *退院するころには、右足付け根に痺れる、浮腫むなどの違和感があり、帰ってからも 階段の上がり降りが大変だった。 自分の足で無いようで、これが手術の後遺症でなる場合 もあると言う「リンパ浮腫」かなと思って悩んだけど、次に控える化学療法治療が始まる事が 待っていたので悩んでる間が無かった。 毎日無理のないくらい(1時間位)ゆっくり散歩するようにした。 帰ってストレッチしたら、あの痺れやむくみがビックリするくらい軽くなった。 これからは、体力勝負と云う事もあり、食べたいと思うものを食べて自分中心の毎日を |
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