貴方の子供さんは、自閉的傾向があります。」という1歳半の健診で。 
S58年秋のことでした。 
この時から、私と子供の戦いが始まりました。 病院通いが始まったのです。

まさか、自分の子供に限って・・・親が良く使うせりふです。
まさかまさかでいつまでも納得が行かず5歳くらいになってようやく理解できた、
頑固な母です。

友人はよく言いました。「あなただから、育てられるからあなたに授かったんよ!
試されてるんよ!」
若い頃は鼻っ柱の強いわが道を行くタイプでしたから、子供が自閉症と分かってから、
「負けてたまるか!」ってよく思ってました。
今思うと、よく頑張ってきたな〜と、思います。

小中学校は、教育委員会が校区内に障害児クラスを作ると言って下さいましたが、
直ぐ下の妹の事を考えて、
校区外にし、高校は養護の方へ進みました。小学校入学当時は朝礼に並べずに、
ジャングルジムの上、
運動会ではボサッと立っているだけで、とても目立つ存在でした。
直ぐに「障害児クラスの○○君」と覚えてもらってました。

この小学校で、みるみる変わって行きました。コツコツすることが好きで、
宿題のプリントをたくさん貰うのが、
日課となり(ひとついい事をすれば、1枚プリントが増る。
こんな風に子供に付き合ってくださった先生方に感謝です。)
お陰で、算数(足し算 引き算 掛け算 割り算 九九 文章問題)、
国語(ひらがな カタカナ 漢字)は
直ぐに覚え、日常生活に必要なことから、反復で覚えたようです。
食も細く、ゆえに体格も細く、よく自家中毒(ストレス性)に罹りました。

高学年になる頃には、学校の給食は食べられるようになり、まずまずの体格になりました。
何とも器用な握り箸もこの給食で覚え、先生方には度々の感謝です。

中学校はこの小学校の上がる学校に進み、丸坊主、詰襟の制服が違和感無く、
3年を過ごしました。
幸いかな、小学校のクラスを6年持っていただいていた先生の旦那さんがこの中学の教頭で
来ていただいたことが,安心できる要素でもありました。 
この子は恵まれているんだと確信出来ました。
 
振り返ることをしないで(してる余裕なんて無かったんです)前ばかり見てたように思います。

高校は養護学校で、1年の終わりくらいから、自力通学を始めました。
(家⇒最寄の駅⇒ 駅⇒ 駅⇒ 駅⇒バス⇒学校  約1時間)乗換えが多いのに、
親の私ですら億劫になる距離です。
よく頑張りました。♪

今は、ご縁を頂いた会社(豆腐製造)で、丸6年が過ぎました。1年間は先生方のお勧めで、
県の職業適応訓練を受けました。   
社長曰く「今までこんなこと言ったこと無かったんやが、
Y介には手を抜くことを教えて欲しい!人の何倍も働きよる!」と。
夏、冬には勿論、いつお邪魔しても、暖かく迎えてくださる、
親戚みたいな存在です。


   
   
 *自閉症児(者)また心身障害を持ってらっしゃる子供さんのお母様へ。
  
私は子供が療育を受けていた(3歳から5歳まで)施設の園長に、「焦るな!」
とよく言われました。「焦って良くなった事は無いよ」と。
説得力のある言葉です。   
今思うと長い人生のうちのほんの少しのこと、人より覚えるのが遅くってもいいんです。
(その時は、そう思えなかったんですが。)
緩い螺旋階段を上ってゆくような、時には後ずさりしたりして、そんなスピードでも寄り添って
マイペースを見つけて欲しいんです。 
お母さんも疲れたら、「ちょっと休ませてね!」と声を掛けて、心身ともに休むことです。   
今は、ヘルパーさんもいて、大いに利用されることです。
まずは、その子を認めてやることからの出発です。
その為には、親自身が心を開くことしかありません。

こんな偉そうな事を言ってても、落ち込むことしばしばなんです。
いつの日か、「よく頑張ったね!」って笑って言える様に、お互い、頑張りましょう。

        
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