自分の人生の中に病気になるなんて項目は確か・・・無かったはずなのに・・・ 何がどうなって、どうしてなんて自分の中で迷ってる間はないんだけど 色んなことを同時に考えてる神経があり、悶々とする重い毎日でした。 術後1年経った時、子供に勧めれていつの間にかPCが友達になりました。 それからは、悩んでるのは自分だけでは無いと知り、ちょっと恥ずかしく、 前を向いて生かされる間は生き抜いていこうと思うようになりました。 NET仲間に勇気をいっぱい戴いて、やっとの事で3年を迎えました。 ★こんなあっちの体験談 記してみようと思います。★ 宜しかったら、覘いてみてください。 PS:これは私の病気体験です。100人100様それぞれ違います。 詳しく調べたい方は、上の方のリボン(子宮頚癌リボン)からどうぞ。 |
*病気を発見するまで* 2002年7月の早朝 確か2:30頃 下腹部の痛み(膀胱のあたり)で目が覚める。 背中を丸くして痛みを我慢しようとするが、だんだんきつくなって来るので、 救急に走る。腎臓結石があるので、その痛みかもということで、 痛み止めを貰うが直ぐには効かない。 家に着いた頃、ようやく効き始めた様子。 あんまりの様子に主人が仕事を休む。 その時はこんな病気とも見当も付かず1ヶ月間町医者の泌尿器科に掛かった。 良くなる兆しも無く掛かりつけの医者(内科)に、そこでも何日か居たが、 県立○○病院(内科)に紹介状を書いてもらう。 内科の医師なので、結局内科の部長先生宛てに行くことになるんだけど (後で分かったことだが、臍から下の痛みの時はまず婦人科をお勧めとか)。 7月終わりに行き始めた県立○○病院 内科に丸々1ヶ月通い 気分よくなってないのに担当医(部長先生)は「それじゃ3ヵ月後」と言う。 「エ〜!これだけシンドイのに何で!」と思ったので、 腰から下ということで、婦人科と泌尿器科にまわして貰うようにお願いする。 忘れもしない。2002年8月22日(木) 気になるので思い切ってあくる日の23日(金)に両方の科に。 まず、婦人科に行ったが、待ち時間が長く これだけで疲れる。 やっと順番が来て、内診を受けると何だかザワザワしてるのを感じるんだけど。 その後、初診の医師は【入院、抗がん剤〜〜〜〜】 しきりに話しているけど、 何故か他人事にしか思えなくて---【来週30日に来て欲しい】と。 友人に一緒に来てもらったその日。決定的な話!でも、まだ信じられず頭の中は 真っ白。 その医師は30歳そこそこ、見間違いなんじゃないのを打ち消すように、 その日は部長先生の診断。(内科の部長先生い印象が無いので-----) 医師は日曜日に主人に話すので来て欲しいと。 その日曜日(9/1)。 その医師は【明日の入院を勧めます。そして、4日に動注の予約を 入れてますが、選ばれるのは患者さんです。でも何もしないで手術のときは 9/17になるんで、それまで放っておくのが怖いんです。】 もう任せるしか無く、それから不安が募るばっかりで、明日からの入院に 備えての買い物に走ることになったのです。 病名:子宮頚部の腺癌 1b2期 @動注 1回 (2002,9,4) A広汎子宮全摘(子宮、卵巣、リンパ節の郭清) (2004,10,1) B抗がん剤 3クール 以上がその時の話の中にありました。 注:動注=動脈注入 あっちの場合:右足付け根の動脈から管を通して直接 抗がん剤を投与する。 詳しくは次のページで。 |
SEO | [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送 | ||